予定

次回出場予定 2017年7月30日(日) 千葉県マスターズ選手権  ラオスにて障害者陸上を指導中

2017年2月25日土曜日

ルアンパバーン出張

2/23~2/26の期間、ルアンパバーンへ来ています。
ヴィエンチャンからプロペラ機で約45分くらいの街で、街全体が世界遺産に登録されています。
ラオスというと、托鉢も有名ですので、このルアンパバーンを真っ先に思い浮かべる人も多いかもしれません。

京都に似ていてキレイな街だと聞いていました。
確かに街並みはキレイですが、個人的には京都というよりも、軽井沢のように感じました。
北東側に山を背負っていて、お寺も多いのでその部分は京都と通ずるとは思います。
ホテルの目の前がナムコーン川ですが、夕陽が非常にキレイです。
ワットプーシーというお寺が高台(400段くらいの階段…多分)にあり、街全体を見渡せるということで登ってきました。

また、托鉢も有名ですので見たのですが、ヴィエンチャンでも毎日見ているので目新しは特にないのですが、お坊さんが子供に頂いた物を分け与えている光景は初めて見ました。

こう書いていると、単なる遊びと思うわれるかもしれませんが仕事です。
北部6県(8県?)をこのルアンパバーンを拠点として、障害者指導員養成を行っていきます。
日本からも各先生をお招きしての講習会ですが、僕も24日に90分一コマと25日に60分一コマと実技120分を担当しました。

その他にも、陸上競技未経験者に指導するコマが午前中90分程度あります。
視覚障害男性1名(全盲)女性2名(全盲と弱視)、上肢障害者男性1名(46クラス)女性1名(48、49クラス)の合計5名です。
視覚障害者の女性が非常に手強いです。
上手く自分の身体をコントトロール出来ないようで、様々な身体のパーツを真っ直ぐや腕を交互に振るという行為が出来ないようです。

残り1日しかありませんが、出来る最大限の努力は惜しまずにつぎ込みます。
ここでも、自分自身の指導力を試されているような気がしてなりません。


ルアンパバーンの夕陽



無事、実技も終了しました。

本日もご覧いただきありがとうございます。

多謝、羽根.

2017年2月17日金曜日

生き方

好きな考え方をすこし…。
古代インドでは人生を4つの時期に区切るといいます。
人生80年だと、20年ずつ4つに分けららます。100年ですと25年ずつ。
 「学生期」(がくしょうき) 0~20(25)
 「家住期」(かじゅうき) 20(25)~40(50)
 「林住期」(りんじゅうき)40(50)~60(75)
 「遊行期」(ゆぎょうき)   60(75)~80(100)
この考え方が非常に好きです。

「学生期」で学び、「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、人生のクライマックス「林住期」を迎えると言われています。全てを一段落して(させて)、自由に出来る期間が林住期ではないでしょうか?まさに、今の自分に当てはまる気がします。

作家の五木寛之さんは著書の「林住期」の中で言っています。
「林住期」という第三の人生を心ゆくまで生きるのが人間らしい生き方なのだから。
日本人はまじめに考えすぎる。
「林住期」に何かを始めるのは「必要」だから始めるのではない。始めるきっかけは、「必要」ではなく「興味」だ、と…。

そして「遊行期」は、人生で得たすべてを放棄して、死を迎える瞬間まで放浪する期間。だと…

よく言われることの一つに好きな事ができて羨ましいと…。
そうです、僕の場合はこれが宿命だったと思うのです。
今までの人生を逆算すると、全ては今現在のために起こった出来事だと思います。(良いこと悪いこと含めて)
何か一つでも過不足があれば現在はなかったと思います。
縁も運も当然あったでしょう、それも全て含めて宿命ではないでしょうか。

色々とご意見はあるでしょうが、クライマックスの林住期が今の僕のような気がします。
 
今後も、上手くいかない(出来ない)出来事もあるでしょうが、それはきっと運がなかったのだと思います。運があれば上手く行くし出来ると思っています。
完成させるべく宿命なら出来るだろうが、出来ないのであればそれはそれで仕方ないと考えています。

こんなことを言うと、なんと投げやりで何も努力しないでと思われるかもしれませんが、全ては精一杯努力することは最低限の条件であることはみなさんは承知済みとの前提です。

当然、苦しいときも辛い時もあるが全ては栄養にになる。
ただ、その答えが分かる(出る)までの期間が長いこと長いこと…

まだまだ、遊行期のことは考えていません(考えられません)が、どこへ向かうのでしょうか?
非常に楽しみです。

人生に無意味なことは何一つない。

本日も、長文ご覧いただきありがとうございました。

多謝、羽根。

2017年2月11日土曜日

宿命と運命

 特別に信仰している宗教はありませんし、神や仏に関しても常に自分の都合のいいように解釈しています。
 
 ご存知でしょうが、運命と宿命があるといわれています。
 宿命とは宿る命、すなわち生まれながらに宿っている命。
 運命とは運ぶ命、すなわち自分でコントロール出来るもの。
 と解釈し理解しています。

 Facebookには書いたのですが、後から読み返すと思っていたことが上手く文章化出来ずに、おかしな文章になっていましたので、改めてここで書きたいと思います。

 自分の人生は宿命で決まっているように思えてなりません。大事故や大怪我、大病に見舞われてもしぶとく生きている自分。
 
 事故で言えば、30年程度前の首都高速5号線での大事故、当時の「フライデー」「フォーカス」などにも取り上げられた5時間程度の5号線の通行止めでの事故の被害者でした。幸いなことにかすり傷一つありませんでしたが、乗っていた大型トラックのキャビンは全損。H型鋼材の過積載トラックが横転し僕の運転するトラックのキャビンを潰しました。後、1mずれていたら僕は下敷きでした。
 
 乗用車では、車が2,3回横転し大破。偶然、通りかかかったDr.がその事故を目撃…。Dr.曰く、運転者は死んでしまっただろうなーと思ったらしいが、そのDr.の病院に搬送されるという結末。怪我も、足を怪我し数十針縫うが、他に怪我はなし。
 
そして、2003年の左腕の事故、怪我。これも、あと数センチで頭が挟まれていた状況。入院中も破傷風などにもならず、順調とは行かなかったがそれなりに回復。

 自分の母親は、僕が26歳の時に50歳でくも膜下出血で亡くなっている。回復の傾向であったので、非常にショックであった。僕は男3人兄弟で、女の子が欲しくて欲しくて仕方なかったようだ。母親が亡くなった翌年、僕は女児を授かった。
 
 2011年の東日本大震災。謂れなき沢山の方々の死。当然、東日本大震災に限らず全ての災害や紛争もあてはまります。

 この差はなんなんだ…。
 なんの罪のない人、何も悪くない人…
 なんで、僕は生きているんだ???
 
 生きたくても生きられない人、生きたくなくても死ねない人、いい人が早死し悪人が長生きする。
 
 世の中は理不尽・不条理なことだらけ。
 亡くなった方々には失礼な言い方になるのかもしれませんが、生きてる人亡くなった人含めて全ては宿命なのかなと…。
 
 当然、僕の母親も。

 しぶとく生きている自分もまた宿命だったのかなと…。

 そう思わないと、辻褄があいません。そう思わないと自分が生きて行けない気がします。宿命で生かされている現在、一度ならず二度三度と死んだも同然な自分。
 
 なぜか自分でも分からないのですが、誰かの役にたつことがしたいと自然に思うようになりました。出来れば必要とされている部分や場所でならなおいい。いままで、ボランティアなどまったく別世界で偽善者の集まりだと思っていた自分だが、現在、自分はその渦中にいる。偽善者でもなんでもいい。真相は自分自身が知っている。

 お金は無くては困るが最低限の生活が出来ればそれでいい、本当に変だが余分には欲しいと思わない。(若い頃は常に拝金主義でしたが)死んであの世にも持っていけないし、なまじ遺産があると残された家族仲が悪くなることも想定できる。(資産など無いですがね…)
 
 死に対して恐怖はない。ただ「無」になるだけ。痛いも怖いもだいぶ経験したからそんな心境になるのか、まったくの無意識での強がりか、はたまた単なる鈍感か?まあ、いずれにせよそんな心境。

 宿命で決まっている人生だが、終わりはいつかは分からない。明日かもしれないし、あと、半世紀後かもしれない。だが、終りが来ることは間違いのない事実である。
 
 世の中が良くなることに越したことはないが、そんな大それたことは考えていなく、ただただ、自分の好きなように自分の信じた道を歩んでいてそれが最大の幸せだと実感している。「犀の角のようにただ独り歩め。」といったところでしょうかね…。
 
 そんなかんじで運命を作って行っているのでしょうか?

 本日もご覧いただきありがとうございました。

 多謝、羽根。

2017年2月4日土曜日

雲散霧消

 先日、専門種目である三段跳びを跳ぶことが出来た。
 2014年9月19日 岩手県北上市で開催のアジアマスターズ選手権兼全日本マスターズ選手権、10m12cm(予選落ち)以来の三段跳び、なので2年4ヶ月ぶりの三段跳びであった。

 昨年(2016年)、100mと走り幅跳びでは、2014年の全国障害者スポーツ大会@長崎での自己最低記録での初黒星を記録上でだがリベンジ出来た。リベンジするのは当然準備が必要なことはご承知だと思う。幸いなことに、ここラオスへ来て陸上どっぷりの生活が出来ている。優先すべきは言わずとも選手第一である。とは言え、自分自身も向上したい意欲もある。考えながら、お互いがより良い状況下でトレーニング出来る環境を整えてきた。確かに、選手の強化・指導は最大のミッションであるが、どちらかに偏りすぎると、どこかで行き詰まる気がする。ようは、WIN-WINが理想である。

 少し前置きが長くなりました。

 三段跳びを練習ではあるが跳べて、跳んだ内容も想定よりもよく、記録も非公認であるが10m12cmを上回ることが出来た。そこで、こちらで身体を作っている時期や、100m・幅でリベンジ出来たあとに思っていたことが一層真実味を帯びてきた。

 難病の多発性筋炎が発症する前(どの程度前かは定かではない)の練習では、長い距離を走るのを回避していた。正当なそれらしい理由を付けて。長い距離とは200mー400mである。跳躍選手にそのような距離を走る必要はないと理由付けをして自分を納得させていた。それは、病気を発症し始めていて身体が拒否反応を示したいたと思われる。過去を振り返えると、記録の下降と共に長い距離もそうだが走ることが極端に少なくなった。繰り返すが、走らないではなく走れないのであったのだ。当然、病気のことなど露ほどにも思ってなく、病気が発症した時は青天の霹靂であったのは言うまでもない。

 色々と書いたが、要はこれが解明できたところでなんの利益もないのですが、辻褄が合うということは霧が晴れたような爽快感がある。これが良いか悪いかはそれぞれでしょうが、この瞬間というか、徐々に晴れていって一気に雲の上に出る…みたいな…。そう、飛行機で下界は雨で徐々に高度を上げて途中、大きく揺れたりしながら徐々に明るくなり雲のないところへ出た瞬間の爽快感に近いですね。これを自身で体験出来るということは非常にありがたいことです。飛行機での出来事は他力本願ですが、自身のことは自身なので晴れたときの爽快感は結構大きいです。

 僕の好きな言葉の一つに”全ての出来事には意味がある”があるのですが、今回の三段跳びを跳べて過去の出来事が紐付けされて、クリアになったことは他人には解らないと思いますが、個人的は非常にインパクトの強い出来事の一つでした。

 何か今までと違うというときは、何らかの異変が起きている可能性が強いですね。とは言え、何をどう疑うのかは永遠の謎なのかも知れませんが…。
 そして、現在出来ることを行っているとどこかで何かが紐付き、解明出来るかもしれません。
 それがどうした?と言われれば単なる自己満足です!としか言えませんが、それが出来る立場にいてそれを実行する自分が好きです。

写真は三段跳びの練習用に購入したスパイク。
練習用だと勿体無いと思うほどいい感じ。

 本日も長文ご覧いただきありがとうございます。

 多謝、羽根。