2015年8月3日月曜日

不平等

暑いですね。
調べていませんが、アジア地区で一番暑いのは日本ではないでしょうか?

北朝鮮では干ばつに襲われているとか…
ミヤンマーでは洪水だと今朝のニュースで…

何とかならないんでしょうかね?
いつか聞いた事があるのですが、全地球で降る雨の量はほぼ決まっていて、それが今まではバランスよく降っていたり、晴れたりしていたのがここ最近は両極端になって来ている。

今回のように、干ばつがあり洪水が起きる。
まあ、日本国内でも似たような傾向ですがね…

自然をコントロールする事は不可能でしょうが、せめて飢餓はこの時代ですもの何とかしたいと強く思います。

さて、前置きが長くなり過ぎました…
本日は、ドーピングについて少し触れたいと思います。
ニュースを見ていたら、大量選手のドーピング疑惑が…
 ⬇️  ⬇️ 記事を抜粋 ⬇️ ⬇️
2001年から12年までに開催された陸上の五輪、世界選手権の持久系種目で与えられたメダルのうち、その3分の1に当たる146例にドーピングの疑いがあると報じた。

様々な人の反応をみて、不思議感が強くなった。
僕と感じる事が違うと…

確かに、ドーピングは良くない行為であることにはなんら異論はありません。
不正だからです。
要は、ズルして強く、速くなる(なった)訳です。
その影響で命を落としたと言われる人もいますが真相は闇のなかです。

今回、皆の反応を見てみると、ズルして強くなった…という部分に憤りを感じているように僕は受け取りました。

土俵は平等であるのが最低条件としてあるからではないでしょうか?
平等が平等じゃなかったと。
ズル、不正があった。

なるほど、それはそれでわかりますが、僕はそこまで憤りを覚えませんでした。
何故かと考えました。

そこまでの選手ではなかったというのも大きいかも知れません。

自分中心で行ってきた事だからにようにも思います。
勝手に自分本位で行って、勝手に土俵に上がって行く。
その土俵上には様々な人がいる。

僕の土俵は平等ではないんです。
常に不平等の土俵に上がっていた(る)んです。
僕の場合、基準が不平等なんです。

だから今回のドーピングの件は「あっ、そうなの」で済んでいる気がします。

何故?不平等か…?を書きますと…
じゃぁ、やめればいいじゃないか!!とか言われそうですが、自分勝手にやっている事であり、不平不満を全面に出していません。(過去は全面に出したこともあります)

僕が行っている陸上競技。
まずは、障害者の部門。
障害のレベルをある程度同一にして闘いましょう。
と言うのがクラス分けになります。(分かりやすく言うと、目が見えない人と見える人では違いますよねって感じ)

僕は立位のF46というクラスです。
Fと言うのはフィールドのFです。トラック種目だとTになります。
46というのがクラスで切断・機能障害というカテゴリーです。
この46クラスですが、これがまた大変で…
片腕がない人と手首のない人が同じクラスなんです。(手首についての詳細は省きます)
どう考えても、片腕と手首がない人では雲泥の差があるのは一目瞭然でしょう。(手首のない人は47になります)

これを脚の障害のクラスに当てはめると…
膝があるなしで分かれます。
膝があれば44クラスで膝がなければ42になります。
分かれているんです。

以前、46のクラス編成で47クラスはなくすという方針が発表されました。
なくすというのは、国際クラスから外れるという事で、世界選手権、パラリンピックなどから除外されると言う事です。
ここに異議を唱え、抗議したのが日本です。
その主張が認められ、47は国際クラスに残った経緯があります。

完全に不利な状況です。
ましてやこの歳。(まあ、歳は完全に無関係ですが…)
でも、勝手に好きでやっている事で、嫌なら辞めるしかないんです。

今度は健常者の部門
当然、オリンピックに挑戦など出来る訳はありません。
挑戦する事は可能ですが、予選会すら出る事は不可能です。(記録的に)
(障害者が五輪に挑戦する自体は何も問題はない)
参加可能なのはマスターズと地区大会くらいです。
障害者が健常者の大会に出る自体稀ですが、ハンデは言わずとも分かると思います。
ですが、この分野も勝手に好きで出ている訳です。
ハンデがきついからと文句を言うようなら、出なければいいだけの話です。

と長くなってしまいました。

両方の分野で好き勝手に出場している訳です。

付け加えると、世の中は両手がある事を前提に物は作られています。
カップアイスを食べたくても食べられません。
アップルウォッチも付けることが出来ません。

別にアイスはカップ以外にもあるし、時計はスマホで代用出来る。

土俵は常に不平等。
そんな事情で今まで過ごしてきたせいでしょうか?

不平等が当たり前で、そこをどう工夫し超えて行こうか?しか頭にありません。
興味がなければ工夫もしないし、努力もしない。

相手は変わる事はないので、いかに自分自身が変われるか???
勝手に自分自身が挑んでいる事。

基本的にスタート時点から不平等に置かれているせいか、ドーピングの件に関してはさほどの憤りは感じない。

むしろ、タバコの害の方が憤りを強く感じる。
全く個人の空間でたしなむのであれば何も文句は言わないが、換気扇やベランダで吸い、煙が臭う、歩きながらとかなど、どう考えても自分本位の人が多すぎる。
自分の空間は汚したくないから、換気扇やベランダとかの選択になるのだろうが、それで迷惑する人が確実にいる事を分かって欲しい。

また脱線した。

今回のドーピング問題。
確実に良くない事ではあることには変わりない。
ドーピングを選択すまでの過程はさまざまだろう。

抑止力として一発永久追放とかもあるかもしれない。
それをしないのは何か裏があるような気もするが…

だが、僕は今回大勢の方との感じ方が違うことについて掘り下げて考えた。
置かれている立場できっと人は色々な感じ方、選択をするのだろうと思った。

お前の意見は偏見だと言う人もいるだろう。
だが、世の中は平等なんてあり得ない訳で、ならばその中でどう生きてゆくのがいいのか?

相手が変わるのを期待してはいけない。
自分自身の問題。

世の中の不条理、理不尽は当たり前。

本日も長々とお付き合いありがとうございました。
多謝、羽根。

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